ちわわ

現在19歳/女

個人史

人を好きになる観点

顔が何割だの中身が大前提だの、

それより大事なのはその人が選ぶ言葉だったり。

厳密に言えば言葉と主題。

逆に絶対に選ばない言葉と主題。

そうになるに至った経緯、個人史。

その個人史に少なからず影響した容姿。

その容姿とは全く関係ない所で形成された性格。

その性格を隠蔽するか、あるいは暴露するかのように選ばれたであろうアクセサリー、服の類。

それを剥ぎ取った時の反応。

っていう具合に

判断基準はこんな感じだと、

最近ドンピシャな解答がわかった所在。

もう一つ、私の怒りの盲点。

自意識過剰な返信ほど癪にさわるものはない。

 

 

 

 

教訓化したくないけど

愛は知性にしか宿らないらしい。

椎名林檎が言っていた。

 

元来そうなのかもしれない。

平安貴族では

言葉を、より美しく効果的に表現するために

和歌の修辞法を覚え、

綺麗な字を練習した。

これは月に1回、又は年に1回、

将又、一生に一度の巡ってくるチャンスのために、

愛されるために。

 

愛されなかったら

様変えて出家。

何かあれば大概和歌を詠むカマチョ。

すぐ川に身を投げ死のうとするメンヘラ。

彼女らは紛れもなく知性に愛を宿していた。

そんな彼女たちを愛するために

現代社会人は古典を学んでいるような気もする。

 

知性にも種類がある。

例えば、人の弱さを言葉にするの天才とか、

世の中に帆を張るのが上手かったり。

ごく普通のや当たり前のことを

すごく楽しそうに話せる力だったり。

勿論英訳がうまいとか。

数学の申し子とか。

 

本能的に愛は知性にしか宿らないのなら。

知性を、教養を、付けよう。

勉強する理由、愛されるため。

平安貴族も東大生も本能的に愛されるために学んでいるのなら、

人間は今も昔も弱くて可愛い生命体。

 

生命体とか理系かよ。

そんな私、アバラの骨を折る。

 

 

22:00以降

靴下を履き変え

ぐでたまのデッカいピン留を付けて

単語帳を片手に改札に向かう

度が行き過ぎているいちゃつくカップルを横目に

パンをかじりながら

人に揉まれ電車に乗る

音漏れ再び

最寄り一駅前でチャリの鍵を胸ポケットに入れ

音量を2個あげる

今日はあいつと話してないなって

物足りない理由を探る

何でこんな駅で降りてるんだ、理不尽

だなんて、子供すぎることを思いながら

25時間営業のスーパーで夕飯を買い

残高を確認する

駐輪場に200円払って

チャリにまたがる

明日ねって手を振ると鳴くあの猫

いつも交差点で

自分が最期に聴く音楽は何だろうかと考え

帰宅

ラインを確認し

ただいま、と1通送る

夕飯を作り

最低限のことだけをして

声を聞く、安堵

死ぬようにして寝てみる

 

 

 

7:00以降

電話が繋ぎっぱなしの朝

目覚ましを止めるより先に電話を切る

おはよ、とラインを入れ

お風呂で昨日の出来事を

綺麗さっぱり流した気になり

雑なドライヤー

コンタクトはいつも1発では装着できず

ちょっと不機嫌なまま

大音量のエレキギターを無理矢理耳に流し込み

今日一日の理想図を思い浮かべて

その計画に沿ってカバンを作り

水着やその類を放り投げて、クソ野郎って呟く

髪にコテを当てることはせず

右胸に湿布を貼り

蛾模様のスカートを纏う

唇をピンク色に染めて、溜息を吐き

いってきます、とラインを入れ

鍵を閉める

マイヘア、ポルカ、ビーバー、ラッド

盛大に音漏れさせながら

ペダルを無駄に漕いで、暴走してみる

止めにくい駐輪場

また猫と睨めっこして、1本電車を逃す

総武線を懐かしく思いながら

何処ぞやのキラキラしたJKを横目に

またも蛾模様のスカートを舞わせ

やたら綺麗な定期で乱暴に改札を叩く

 

縷々

個人の価値観の形成に大きく関わるのは周りの環境だったり。

身につけた常識とは18までに掻き集めてしまった偏見たちらしい。

満たされ続けると慣れが生じる。

その有り難みが薄れていく。

今に至るまでの運命的経緯さえ盲目。

極彩色のアイロニー

30kg台の華奢で可憐な身体。

睫毛のカーブ。

思い出のラベンダーの香水。

RADWIMPSの子守唄を流しながら

本を読み漁り

70件の未読の中から、大事な人にだけLINEを返し

不在着信を華麗にスルーして

明日はどんな日にしようかと考え

刺激的だったことをその温度のままノートに記し

センチメンタルガールとの話を振り返る

次の日がオフの土曜日の深夜。

自分の過去を一滴も零さないで肯定してくれる人が欲しいという話をした。

でも今もう一度考えると、

別にそんな人を欲してるんじゃなくて、

ただただ

私生活の一瞬でも私のことを脳内に浮かべてくれて

月一程度で顔を合わせてくれて

嫌なことがあってもくだらない笑いに変えてくれて

毎日最低限の連絡だけとってくれて

泣き噦れば無言で抱きしめてくれる

そんな人が欲しいんだなぁ

って思ったんだけど

意外と条件多かった。

強欲な自分に落胆。

身の程をわきまえろ。

本屋で1万円弱購入し機嫌が少しだけ良い。

参考書塗れの中1冊だけ江國香織の短編集を買った。

本編も勿論良かったんだけど、解説が最高だった。

 

 

 

センチメンタルガールより

身体で憶えている振る舞いがある。

例えば、階段があれば登る、玄関では靴を脱ぐ、みたいな日常的なものだ。それらは住宅から得られるものだが、近年の住宅で「バリアフリー」に作られた環境は身体のことしか考えていなくて、心はどこか中に浮きっぱなしな状態らしい。

現代センター演習のときこれを読んで最近引っ越した人のことが思い浮かんだが、どうだろうか。

新居に心も持ってきたのか、それとも新しい自分を始めるために心まで置いてきたのか。

“子供の頃身体で憶えてたことを忘れた。今どうにか頭で覚えようとしているわ”パスピエのデビュー曲の1節。私が忘れたことといえば、友達の作り方とか好意の伝え方とかそもそも人を恋愛的に好きになると言う行為自体だったりするのだけど、頭で覚えることに限界を感じて近年はストレスフリーに生きている。っていうか、そんなことよりもっといいものを憶えたし、もっといいものを憶えたいんだよな。

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あと遊園地と原っぱの話。

その場所で行われる行為を想定して設定された空間では予想外の展開は起こりにくいらしい。

だから、

遊園地より原っぱ

ラブホよりおうち

プールより海

インスタ映えするカフェよりサイゼ

が、いいんだよな。やっぱり。

 

それと生活区間を用途別に分けることは空間の密度を下げているらしい。

これってもっと広い面で見たら、

理系文系で分けること

友人恋人で分けること

も、含まれるのでは?と思ってしまう。

人としての密度を下げたくはない。

要は、“ヒト”という生命体は、間違いに気がつきながらも、直進しかできない。

気がついてしまったら特別な損をする。

 

 

 

 

ねみいおなかへったねるべ

 

飛んだツンデレ野郎

大嫌い同士すごく上手くいったり。

都合いい関係じゃなくて。

誰にも理解されない、

自分たちにも理解できてない間柄だって存在する。

大嫌い同士、自分の過去の過ちや後悔は全てお互いになすりつけ合う。

お前のせいで、全部めちゃくちゃになったよって。

お互いに言い合う。攻め合う。謝りなんかしない。

でもそれでやっと確立する関係。

それはお互いいろんな垣根を超えて、

様々な過程がありすぎる中で、

絶対のものがないことを痛感した過去がある中で、

唯一無二のものになるっぽい。

 

言葉は信用できないし、

未来の約束なんか絶対しちゃいけないし、

形上のものなんかすぐ捨てられるし、

目を見て放った言葉は全部嘘になったし、

あの人の前でしていた自分の表情が

今ではめちゃめちゃに憎たらしいし、

それでも次を考えられない今に落胆する自分が情けないし、

とりあえず令和における私たちの関係が楽しみ平成のあの最悪な罪全て最愛