ちわわ

現在19歳/女

センチメンタルガールより

身体で憶えている振る舞いがある。

例えば、階段があれば登る、玄関では靴を脱ぐ、みたいな日常的なものだ。それらは住宅から得られるものだが、近年の住宅で「バリアフリー」に作られた環境は身体のことしか考えていなくて、心はどこか中に浮きっぱなしな状態らしい。

現代センター演習のときこれを読んで最近引っ越した人のことが思い浮かんだが、どうだろうか。

新居に心も持ってきたのか、それとも新しい自分を始めるために心まで置いてきたのか。

“子供の頃身体で憶えてたことを忘れた。今どうにか頭で覚えようとしているわ”パスピエのデビュー曲の1節。私が忘れたことといえば、友達の作り方とか好意の伝え方とかそもそも人を恋愛的に好きになると言う行為自体だったりするのだけど、頭で覚えることに限界を感じて近年はストレスフリーに生きている。っていうか、そんなことよりもっといいものを憶えたし、もっといいものを憶えたいんだよな。

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あと遊園地と原っぱの話。

その場所で行われる行為を想定して設定された空間では予想外の展開は起こりにくいらしい。

だから、

遊園地より原っぱ

ラブホよりおうち

プールより海

インスタ映えするカフェよりサイゼ

が、いいんだよな。やっぱり。

 

それと生活区間を用途別に分けることは空間の密度を下げているらしい。

これってもっと広い面で見たら、

理系文系で分けること

友人恋人で分けること

も、含まれるのでは?と思ってしまう。

人としての密度を下げたくはない。

要は、“ヒト”という生命体は、間違いに気がつきながらも、直進しかできない。

気がついてしまったら特別な損をする。

 

 

 

 

ねみいおなかへったねるべ